BIOGRAPHY

HISTORY

TAKAとMASATOが所属していたバンドと、TAL, RYO, MASAKIが所属していたバンドが同時期に解散したことをきっかけにTRANSTIC NERVEを結成、活動を開始し、1997年には初のCDをインディーズより発売した。

1998年、X JAPAN HIDEのレーベルであるLEMONedスタッフの目に留まったことから、 彼らの才能をいち早くHIDEが見出した。その後、HIDEの手によりメジャーデビューを約束された彼らであったが、 5月2日HIDEの突然の死を受け、メンバー全員自らの意思によって契約を保留、インディーズ活動を継続した。

1999年、hide自身が手掛けたヘッドワックスオーガナイゼーションの強い要望により、メジャーデビューの意思を固める。

2007年12月24日、X JAPANメンバーHEATHの所属事務所であるグローバル マネージメントと契約、世界展開を視野に入れた活動を掲げ、バンド名を“the Underneath”とする。

2008年、the Underneath として新たな幕開けを飾ったアメリカツアー「ROCKSTAR taste of CHAOS 2008」(北米38都市34公演)では、日本人バンドとして初の参加を成し遂げた。このツアーと同時にアメリカにて先行発売したファーストアルバム“MOON FLOWER”は、アメリカJ ROCKファンに大きな注目をあびる。そして8月8日、メリーランド州ボルチモアで開催された大規模コンベンション「OTAKON 2008」には、ヘッドライナーとして出演するなど、アメリカ大陸での新たな地位を確立した。

国内では、同アルバムを7月23日に発売。アルバム発売に先駆け、「hide memorial summit」(味の素スタジアム)にて、X JAPAN, LUNA SEA , T.M.Revolution, DJ OZMA など、大物アーティストとの共演を果たした。そして「ROCKSTAR taste of CHAOS 」に参加したJ ROCKバンドのメンバー同士が企画発案し、実現した凱旋ライブ「MUCC, D'espairsRay, the Underneath アメリカン シンドローム」を行うなどのプロモーション活動を行った。アルバム発売後も、ワンマンライヴをはじめ、「D'ERLANGER presents ABSTINENCE'S DOOR #003, #004」、「MIX LEMONed JELLY 2008 ★feat. hide Birthday Party」など、国内で行われたイベントにも多数参加する。更に雑誌やラジオ出演等、勢力的な活動を行った。

2009年には、阪神淡路大震災のチャリティーイベント「glitter vol.6~震災復興イベント・神戸長田元気WEEK~」に出演するなど、多岐に渡る幅広い活動を行う。そしてセカンドアルバムの発売を控え、3月14日には新曲を引っさげてのワンマンライヴthe Underneath Live 2009 -EMBRACE- を行った。